May 18, 2024

45周年


今日で45周年。45年前の今日、東長崎にあったスタジオエイトってとこを紹介してもらって入れてもらったんです。いきなり仕事できるわけじゃないんですよ。まずは新人動画研修から。当時のアニメ業界は東デの卒業生が入ってくるのが普通でした。オレは高卒だったけど「余計なこと知らなくてかえっていいかも」と入れてもらえたわけ。でも「線が全然ダメ!」ってことで、まずは線の訓練から。新人研修どころじゃありません。「消しゴム使うな。失敗したら新しい紙に描き直せ」と言われました。鉛筆をトキントキンに尖らせて、ほっそくて綺麗な線で清書するわけです。何日も何日も線の練習です。

やっとOKが出て、動画研修に進むことが許されます。教材は『グランプリの鷹』でした。鷹也の振り向き→すず子の振り向き→鷹也の走り。これらをクリアしないと動画マンになれません。いずれも師匠からOKもらえるまで繰り返し、なかなかOKもらえず辛かったー。OK出たら次に進む。クリアするまで2週間ほどかかりました。

それからやっと動画マンとして仕事がもらえます。3ヶ月やって、アニメーターに向いてなければクビになってました。あれから45年も絵描きをやってるんですよ。

45周年ビデオのシンボル

45周年45周年45周年
シンボルは進むリピートと方向転換の2つです。これを45を軌道にジャンプスライドで動かしていきます。最後に45をキャラに合わせて消し込みのフレームアニメにします。

関連ページ

投稿者 A.e.Suck : 01:02 PM

March 25, 2024

Animateの立場

アドビにこんな記事がありました。
はじめよう!オリジナルアニメ制作にAdobe Creative Cloudでチャレンジ!
Frescoで作画して、Illustratorでタイトル作って、Photoshopで背景制作して、After Effectsで編集して、Premiereで完成。ってAnimateは?アニメ制作したい人に遠回りの勧め?Creative CloudにはAnimateがあるのに・・・Animateで全部できるし、もっと簡単にチャレンジできるのにアニメーションツールに入れてくれないなんて。一番下に「ほかにも、web向けのインタラクティブなアニメーションデザインに使える Adobe Animate」って、やっとでてきましたよ、「ほかにも」ですって!インタラクティブですって。

アニメ制作始めるならまずはAnimateからでしょ。Animateだけでアニメーション作れます。TVでも劇場でもWEBでもすべてのアニメが作れます。Animateをインタラクティブに特化させるの、いいかげんやめてほしいね。

投稿者 A.e.Suck : 04:19 PM

May 19, 2023

PixiBooooo!

Pixiv

イラストコミュニケーションサイトのpixivでは、作品投稿時に制作に使用したツールを選ぶことができる。必須ではないけどね。2009年に使用ツール一覧から Flash が消えた。つまり使用ツールとして Flash が選べなくなった。Animate に改名したのがきっかけだと思うんだけど Animate もない。完全に締め出された。FireworksやRETAS STUDIO、Expressionのような開発が終了したレトロなソフトは選べるのに、現役バリバリでアップデートし続けてるAnimateが選べないなんて! Flash や Animate 使ってるユーザーの方がよっぽど多いだろうに。事務局に苦情を申し立てたら、「今後の開発、仕様変更の参考にさせていただきます。」だと。
使用ツール


あれから14年たった今も、「Flash」が消された当時のまま。「Flash」とも「Animate」とも選ばせたくないんなら、せめて「その他」を作るとかしてほしいもんだ。改めて事務局に要望をフィードバックしといたが、返信は行わないとのこと。どうせスルーされるんだろうなー。


フィードバック

投稿者 A.e.Suck : 06:34 PM

March 03, 2022

『ダイラガー』40周年

ダイラガー

2022年3月で『ダイラガー』が放送40周年とのこと🎉。40年ぶりに描いてみたけど、Animateで描いてもめんどくさいなー。

『ダイラガー』の思い出

『機甲艦隊ダイラガーXV』(1982-1983)はテレ東でOAされてたTVアニメ。エックスブイじゃなくてフィフティーンって読むらしい。東映動画初の東映製作ロボットアニメ。でも全52話中、3/4は韓国作画でした。15のメカが合体してロボになる!くらいしか覚えてないですが。放送開始時はオレはヨソ(タツノコ)の『逆転!イッパツマン』(こちらも放送40周年)やってたんで、『ダイラガー』に呼ばれたのは2クールめから。だから個人的にはまだ40周年じゃない。コクピット社内グロス作品の初原画で初コンテ清書。

コンテ清書は演出の絵コンテを新しいコンテ用紙に清書する仕事。意味不明な絵をわかる絵にする。読み辛い文字も漢字化しつつ、句読点統一。部分的に色もつけた。好評だったんでとっとけばよかった。原画終わったら捨てちゃうので。

原画はロボット描くのがめんどくさくて、関節とか無理があってイメージ通りのポーズにするのがしんどかった。よく半年以上もやったなあ。登場キャラが多くて、最後まで誰が誰なのか、どのメカなのか覚えられんかった。打ち上げの二次会でも声優さんとキャラが結びつかず、◎◎の役と言われても「あー、あの!」となるけど、頭ん中はどれだかわかってなかった。

名古屋スタジオに遠征してたのも『ダイラガー』の頃。新人指導しながら原画やってた。常駐1ヶ月ほどでコクピット社内の『ダイラガー』作画班は『わが青春のアルカディア』に移ることになって東京に呼び戻された。

関わった話の初号しか見てないので、話もさっぱり。YouTubeでバンダイが全話配信してるのでそのうち見てみるつもり。

ダイラガー
『ダイラガー』での初クレジット。16話。原画、動画、進行、作監、演出はスタジオコクピット。

関連サイト


投稿者 A.e.Suck : 03:27 PM

May 17, 2021

スタジオエイトってアニメ会社があった

スタジオエイトオレがアニメーターとして最初に入れてもらったスタジオエイトという作画プロダクションについて知ってることを書きますよ。スタジオエイトの前身は「朝日フィルム」というアニメーション制作プロダクションでした。大手下請けプロだった朝日時代を含めると業界の老舗ですが、オレが入ってわずか8ヶ月後に消滅したんです。

朝日フィルム

1961年、『犬神家の謎 悪魔は踊る』(1954)などに出演した東映俳優の高橋清三郎氏が撮影機材を購入し、撮影スタジオとして北区十条に朝日フィルムは設立されました。TVアニメが始まる2年前なので、CFアニメを制作してたんでしょうか。その後、豊島区南長崎に移転しました。西武池袋線の東長崎駅から徒歩7分ほど、外壁にアリのマークが描かれた「アリタ館」って2階建の建物でした。朝日フィルム自体はクレジットされることがなく(唯一クレジットされたのは『海のトリトン』)、TVアニメへの参入タイミングは不明です。日大芸術学部から入社した山吉康夫さん、山口秀憲さん、川田武範さんの3人が『レインボー戦隊ロビン』や『魔法使いサリー』の演助にクレジットされてることから、1966年には東映動画作品に関わってたと思われます。

タイガーマスク

豹の眼脚本家の伊上勝氏の弟子で『豹(ジャガー)の眼』(1959)の脚本を書かれていた森利夫さんは、入社したタツノコプロでアニメーターに転身。笹川ひろし氏の指導の下、『宇宙エース』(1965)の動画でデビューしました。翌年、タツノコの先輩である漥詔之さんが立ち上げたスタジオ・ビーズに移籍。『レインボー戦隊ロビン』(1966)以降の東映動画作品の作画に関わり、『タイガーマスク』(1969)の途中で朝日フィルムに移籍しました。それが朝日フィルムの作画部門の始まりかもしれません。朝日フィルムは作画、仕上、撮影、製作進行、演出を要する下請けとしては大きなプロダクションになりました。

海のトリトン

アサ日ビル1972年に放送が始まった『海のトリトン』はアニメーション・スタッフルーム製作ですが、実質の制作は朝日フィルムでした。そのためエンディングで制作協力としてクレジットされています。表記は朝日フイルムになってます。一方、東映動画作品は「『ゲゲゲの鬼太郎』(1971)、『デビルマン』『マジンガーZ』(1972)、『ミクロイドS』『ドロロンえん魔くん』(1973)、『ゲッターロボ』(1974)、『グレートマジンガー』(1975)を手がけます。右は『マジンガーZ』朝日フィルム担当の19話からデビラーX1に破壊されるアサ日ビル。
  • 朝日フィルムの外注または所属アニメーター(敬称略):小松原一男、羽根章悦、菊地城二、高倉建夫、若林哲弘、鈴木英二、正延宏三、兼森義則、及川博史、稲野義信、鈴木孝夫、谷沢豊、泉口薫、刀根夕子など

朝日フィルムの主な作品

  • 1969『タイガーマスク』
  • 1971『原始少年リュウ』『ゲゲゲの鬼太郎』(第2作)
  • 1972『海のトリトン』『マジンガーZ』
  • 1972『デビルマン』
  • 1973『ドロロンえん魔くん』『ミクロイドS』
  • 1974『グレートマジンガー』

スタジオエイト

1975年、『グレートマジンガー』制作中に高橋社長ら取締役が身を引き、館浩二氏を新社長としてスタジオエイトに改組されました。高橋前社長は俳優に復帰、撮影部は佐野禎史さん率いるイマジネーション・プロダクツとして別組織になりました。エイトなのは設立時に8人の発起人がいたからだそうです。以降、『グレンダイザー』(1975)、『マシンハヤブサ』(1976)、『キャンディキャンディ』(1976)、『グランプリの鷹』『ジェッターマルス』(1977)などの制作ローテーションに組み込まれました。

スタジオエイトの主な作品

  • 1975『UFOロボ グレンダイザー』
  • 1976『キャンディ・キャンディ』『マシンハヤブサ』
  • 1977『ジェッターマルス』
  • 1977『アローエンブレム グランプリの鷹』
  • 1978『宇宙海賊キャプテンハーロック』

スタジオコクピット

1978年、演出の山口さんは山吉さん、川田さん、作画陣と共に独立し、桜台にスタジオコクピットを設立しました。森さんとしまださん、演助の吉沢さんらはエイトに残留しました。時期は不明ですが、仕上部は柴隆之さんがタカプロとして独立しています。このため、エイトの仕上机は放置か、新人の動画のために使われました。
  • スタジオコクピット設立時のスタッフ(敬称略):山口秀憲、山吉康夫、川田武範、高橋英吉、河村信道、松村啓子、加藤良子、上野茂々子、多田康之、三原武憲、椎名繁、多田信
Wikipediaの主な参加作品リストは朝日フィルム〜スタジオエイト時代の作品も含まれちゃってますね。

キャプテン・フューチャー

右がオレです手薄になった作画に新たにアニメーターが補充されました。上村栄司氏も4人をエイトに紹介しました。その1人がオレです!1979年、TVシリーズの『キャプテン・フューチャー』と劇場用『銀河鉄道999』の頃です。その時点で、所属アニメーターは21名(うち19名が動画!)でした。動画の仕事は東映作品が大半でしたが、他にサンライズやマッドハウスの仕事も入ってました。基本給が30,000円で、270枚までは枚数に関わらず30,000円は保証されました。270枚を越えると超えた分の出来高がプラスされました。

1階と2階

深夜のスタジオエイトエイトの1階は、タイムカードのある入り口横の小部屋にTVとソファーがありました。土曜の夕方はここに集まってプロレスを見るんです。入口から大部屋に入ると、動画机や仕上机(新人の動画マンが使用)、大きな棚が並びます。机には東映動画の備品シールが貼ってあったので、譲り受けたものでしょう。そして吉沢さんの机もあって制作の中心です。オレの席はこの部屋にあって、小部屋の裏側にあたる位置の仕上げ机でした。森さんのチェックを受ける場合は、仮眠スペース横にある奥のドアから出ます。そのまま進むと撮影会社です。廊下を左に行った先に社長室。その横の階段を上がると2階の動画室。10人くらい。その奥の部屋は原画室で、左に森さん、右にしまださんの席がありました。1日おきに泊まる森さんの寝室も兼ねてました。

新たなる旅立ち

スタジオエイトの旅行『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』は切羽詰まった追い込みで、エイトの動画マン総動員で徹夜しました。珍しく夜食も出ました。79年7月31日のOAは、会社の旅行先である千葉の民宿で、大笑いしながらみんなで見たのを覚えてます。

怖い話

どこのアニメ会社もありがちなのが心霊体験話。スタジオエイトにも怖い話はいくつかありました。仕事中に足音が自分の背中で止まり、誰かな?って振り返ると誰もいない。誰もいない席で動画用紙のパラパラ音や、鉛筆削りの音がしたり。深夜にベッドで仮眠とってたら急に寒くなって何かを見た先輩。オレが体験した夜は、森さんが「もう誰もいないから帰るとき戸締り忘れないように」と帰って行きました。建物内でたった1人で仕事してたときのこと。進行の机にあるビジネスホンが鳴りました。深夜に電話かかってくるのは珍しくないわけです。電話に出ようとすると、内線からの呼び出しランプが点滅してたんです!誰もいないはずなのに!受けるのをやめると鳴り止みました。しばらくするとまた内戦から呼び出し音が!怖くなって仕事をやめて走って帰りました。1人で徹夜して真っ暗な社内を歩くのは平気だったのに、それ以来怖くてダメです。そういえば廊下にお札が貼ってあって、その由来はスタジオエイトが入っているアリタ館のあった場所はかつて防空壕だったからって聞きました。

解散の噂

エイトではみんなでスケートやボウリングをしに行ったり、プロレスを見に行ったりと楽しく過ごしてましたが、秋頃からギャラが遅配になりました。会社の資金繰りがかなり逼迫してたようです。『サイボーグ009』(1979)の打ち上げで再会した上村さんには「エイト危ないんだって?」と声をかけられました。社外の人から言われるってことはスタジオエイト解散説が業界内で噂になってるんだと実感しました。さらに、スタジオコクピットの山口さん、山吉さん、川田さんの3人が慌ただしくエイトにやって来たのは、登記メンバーから名前を削除するためのようでした。

解散確定

1980年に入ると、スタジオエイトが存続するのは不可能でした。『地球へ...』(1980)の制作中でした。自分としてはノーギャラでも続けたかったものの、先輩に促されて館社長に辞表を提出しました。受け取ってはもらえましたが、そもそもオレは社員じゃなかったw タイムカード押してたし、8ヶ月間社員だと思ってましたが、スタジオエイトの社員は社長と事務の2人だけ。社長はイイ人で、家財を処分するなど資金繰りに奔走してましたが、最後のギャラは未払いのまま。

D計画

スタジオエイト解散前の集合写真解散となると、23名に増えていた動画マンはどうなるんでしょうか?フリーでやっていけるほど育ってないわけで、『日本沈没』のD計画です。ド新人のオレは強制送還か、移籍先を紹介してもらうか。エイトの動画救済で東映動画またはスタジオカーペンター移籍案も出てました。森さんは練馬に移転したスタジオコクピットに移籍するようです。森さんがオレの席に来て「深谷君はどうするんだ?」と聞かれました。「わかりません」「オレに任せるか?」「お願いします」「傾斜のついた動画机で仕事できるようになるから」森さんは一緒にコクピットに移籍できる動画マンに選んでくれたんでした。それは22人中たった5名でした。最終的に5人が追加され、計10人の動画マンがコクピットへ移籍できることになりました。他の動画マンもスタジオアトン、スタジオカーペンター、スタジオジャイアンツ、菁画舎などに移籍しました。東映動画からエイトに渡った原画机は1万円で譲ってもらいました。また、エイトで未払いだったギャラは後に支払われました。

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投稿者 A.e.Suck : 07:03 PM

July 20, 2020

所属アニメーターはフリーランスか?

アニメ版『ジョジョ』の総作画監督が語るアニメーター業界の「過酷な実態」って記事を読んだ。記者が「アニメーターの仕事がわかる本」の著者にインタビューしたもの。(この本の内容については以前の投稿を参照してください)

オレも所属アニメーターだったからね、11年間。なので、この記事でそうそうって思うわけだけど、いくつか引っかかる部分もあるわけで。アニメ業界の話をするとドン引きされるってのもわからんでみないけど、そんなのネガティブなこと話すからだと思うわけ。もともとアニメ業界なんて世間とズレてる世界なんだから。記事だと「スタジオに所属していても待遇はフリーランス」って部分が気になった。

スタジオに「所属」していても待遇はフリーランス?


「アニメーターは自分のことをフリーランスだと思っていない」ってのは、スタジオ所属アニメーターのこと?たしかに思ってないわけだけど、でも社員だとも思ってない。会社が年末調整してくれるなら確定申告したことがなくても不思議じゃないし、確定申告しないならフリーランスでもない。スタジオを辞めることを「フリー」になるっていう。一般的なフリーランスとは違うんです、所属アニメーターは。なので待遇はフリーランスってのは違うなあと。だからネガティブにとらえないでほしいわけ。
そこでドン引きされないようにnote書きました。

投稿者 A.e.Suck : 06:26 PM

May 22, 2019

40周年 PART2

突然ですが『なつぞら』の主人公ってちょっとオレに似てると思った。23年先輩ですが。

奥原なつ深谷英作
高校の部活演劇部演劇部
最終学歴高卒高卒
上京1956年1979年
新人時代のアパートおでん屋の2階中華屋の2階
入社時の机仕上机仕上机
初動画の確認アフレコ見学時アフレコ見学時
東京での初観劇兄の劇団の公演先輩の兄の劇団の公演

『なつぞら』って1950年代なのに誰もタバコ吸ってなくて違和感あるよね。別の地球の話みたい。灰皿がないおでん屋やカフェってあり得んし、東洋動画もだーれもタバコ吸ってる気配がないw
アニメーター生活40周年てこともあるし、なりたての40年前と現在を比較してみます。
40th Anniversary

スタジオエイトで動画マンになったときは仕上の机を使ってました。スタジオエイトは仕上部が独立していったので、使われていない仕上机が余ってたんです。棚は多いけど、ガラスに傾斜はありませんし、引き出しもないです。


左にぶらさがってる黄色い紙は東映動画の撮影シートです。原画マンなら絵コンテの位置です。その奥にある本は「人体のデッサン技法」と「アニメーションの本」です。左手にはタバコを持ってます。当時はマイルヂセブンで1箱150円。右手は鉛筆、短くなった同士の尻をセロテープでつなげてます。現在は右手にintuosペン、左手はショートカット用。板タブのおかげで前を向いて仕事できるので姿勢は楽になってます。

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投稿者 A.e.Suck : 12:37 AM

May 16, 2019

40周年

40th Anniversary
今日、アニメーター生活40周年を迎えました。東映動画系のスタジオ・エイトというアニメ会社に入れてもらった日です。

アニメーターになっても、最初は動画の訓練期間で、仕事させてもらえません。でも基本給3万円が出てたので生きてはいけました。「基本給出してんのはウチくらいだよー」って社長が言ってました。いい会社に入れてもらえたってことですね。基本給もタイムカードもあったので社員だと思ってたら、社員は事務だけと後で知りました。18歳からフリーランスの始まりでした。

アニメーターになったと言っても、最初の2週間は研修とゆーか動画の訓練だったんで、実際に仕事したのは月末にやったA止メ1枚。基本給が出てたので1枚じゃ請求はできなかったけど、やっと作業伝票書けたことでプロになったって感じました。
作業伝票
その1枚がおそらくこのカットです。詳細はこちら

動画の単価

エイトではTVシリーズは1枚110円だったので、3万円以上稼ぐには270枚を超えた分から1枚の単価がつきます。逆に270枚でも1枚でも3万円。新人にはありがたいシステムでした。エイトが解散後に移籍したスタジオコクピットはTVシリーズ1枚120円でした。完全出来高でした。基本給はないけど、コクピットの社長は「うちはメカものはとらない」って言うので枚数稼げそうって思ったものです。でも実際は、いきなり『ゴーディアン』って、ロボがロボを着るロボットアニメでした。そして劇場『地球へ…』のメカ、特にめんどくさいカットだったので2倍付けにしてもらえました。難易度の高い動画は交渉で倍の単価にしてもらえることがあったのです。劇場用はTVより単価がいいですが、さらにいいのが海外向けTV作品、いわゆる「合作」ってやつです。OAは見れないけど。オレが動画の頃はOVAってまだなくて、テレフィーチャー(TVスペシャルアニメ)ってのがありましたねー。

動画チェッカーのギャラ

動画チェックは上がって来た動画を見てリテークを出したり修正する仕事です。TVシリーズでは作監の仕事のうちでしたが、合作では動画チェッカーが置かれます。動画枚数でなく動画チェック料ってのがもらえました。仕事量に関係なくまとまった収入が入るのでありがたいです。指名されないとなれませんし、指名されるのは腕と信用の賜物です。東映の劇場用の動画チェッカーは月給制で手取り27万でした。動画じゃまず稼げないです!しかも昼食券をもらえば東映撮影所の食堂でメシが食えます。夜食がでることもあるし、帰りが遅くなれば東京無線のタクシー券がもらえます。大泉学園に住んでたオレは徒歩で帰れるんですが、タク帰りしたこともあります。動画チェッカーは4人もいたので、死ぬほどの忙しさもなく、のんびり楽しくやってました。

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投稿者 A.e.Suck : 01:31 PM

May 31, 2017

38周年

初仕事たぶん、これだわ!YouTubeで見つけた初仕事。2週間近い訓練がやっと終わり、師匠に「これやってみな」って渡されてやった初カット。動画の仕事を先輩アニメーターから渡されることは普通はないので、この場合は仮免の試験みたいなもんだったかもしれない。これクリアすれば路上出られる、みたいな。『キャプテン・フューチャー』の何話か忘れたけど、A止メ1枚のトレス。新人の初仕事にはちょうどいいカット。色トレ部分はセルに写らへんけど、赤鉛筆で慎重に丁寧にトレスする。

これが何の絵なのかわからんけど、初仕事なのだ。原画を清書しては師匠に見てもらう。「もっときれいに!」「消しゴム使うな!」「線がヨレてる!」と何度もダメ出しくらって、何度も清書し直して、やっとOKサインもらったのが1979年5月31日。初めて請求書切った。18歳のときだった。描いた絵が初めてお金に変わった瞬間だ。動画1枚なので請求額は110円だけど、270枚未満でも月3万円が保証されてたので助かった。

こん時はわからんかったけど、これはキャプテンが顕微鏡を覗いた次のカットなので、アメーバだか微生物だかのカット。惑星じゃなくて。

因に初クレジットされたのは、、、動画のクレジット枠は4人だったので新人は入れない。先輩で埋まっちゃうからね。『フューチャー』って韓国作画回が多かったので、初クレジットはまったく関係ない韓国製の話だった。1カットもやってないけど、親を安心させるために名前が出ることを知らせるべきか?結局、知らせなかったと思う。それでも社内作画回で2話くらいはクレジットされたかなあ。

投稿者 A.e.Suck : 12:32 PM

May 16, 2015

36周年

エリック師匠36周年に入った記念に、師匠の言葉をいくつか思い出してみます。出会いはアニメーターになった最初の日。「これからMさんに会わせるから挨拶しなさい」「え、Mさんってタイガーマスクの作監のMさんですか?」「そうだよ」この建物にあのMさんがいるとは知りませんでした。東映から絶大な信頼をされてて、他社の仕事をするときは別名を使うほど東映に義理を通す大ベテランです。

この絵のようなすんごく厳しく怖いイメージでしたが、それでもずいぶん丸くなってたそうです。動画をチェックしてもらうときは、怖いしドキドキですが、修正を入れてくれたり、中割りのラフを描いてくれることもありました。師匠はスタジオエイトの全ての新人を指導していました。自分の作業時間を割き、無償で。テキサス州ダラスのレスラー兼プロモーターのフリッツ・フォン・エリックに似ていたので、スタジオエイトはアニメ業界版エリック王国と勝手に呼んでました。

スタジオエイトの解散時、師匠以下全員のギャラが未払いでした。師匠は金策する社長に対して「オレの分はいいから動画の連中のギャラをまず払ってやってくれ」と言ったそうです。おかげでオレらは未払いギャラがもらえましたが、師匠が泣いたギャラは数百万とのことでした。

プロレス好きかよ?

初めて師匠部屋に通され、初対面した時「絵を見せてごらん」と言われ、ラクガキ帳を差し出しました。絵の勉強もしたことがなく、演劇やってた高卒の絵を、大ベテランの巨匠が見る。心臓が破裂する思いです。黙々と見ていた師匠がニヤリとして発したのがこの言葉でした。事前に「裸のデッサンを描くといい」と聞いてたので、レスラーの絵が何点か描いてあったのです。険しい表情からニヤリとしての一言だったので、緊張が少し緩みました。全ページ見てくれました。最後には「このラクガキ帳は捨てるな。とっておけ」と言われ、ホッとしました。今もとってありますよ、デビュー前のラクガキ帳。

消しゴム使ったろ?

少しでも失敗したら消して直さずに描き直せと言われてたのにもかかわらず、ほんの少しならわからないだろうと…しかし、師匠のチェックを受けてみたらこの一言です。「描き直せ!」動画用紙を裏返すと、消しゴムの後が残るのです。そーゆーときは裏からも消しゴムをかけるという邪道のテクニックを先輩から教わりました。でもなんで消しゴム使うなって言われたかってえと、絵の上達にならないからだと思います。消しゴムかけてる時間も惜しんで描けということだったんだなあと。消し方はうまくなるかもしれんが、絵がうまくなるわけではない。経験の足しにはならないから消しゴムの時間はムダで、それなら一から描き直した方が自分に有益だと。そのために紙は何枚使ってもいいと。とにかくいっぱい描け!ということだったんでしょう。もうひとつ、作画のスピードアップの訓練。消して直すということはしくじっているからで、スピードの妨げになる。宮崎さんは絵を描くスピードは「鉛筆を走らせるスピード」だって言ってましたが「余分な線を描かないこと」も重要です。少ない線で仕上げれば短時間で描けるわけで、それを意識してたくさん描くのがうまくなる道というわけ。

起こしてかまわないから

新人の頃は、動画ができたら師匠のチェックを受けます。師匠が作監でない作品でもです。師匠がOKしてくれるまで描き直します。つまりそれまで請求枚数としてカウントされないのでギャラにはなりません。1日おきにしか帰宅しない師匠は、午前中に仕事部屋に籠って寝てることが多いのです。起きたのを見計らって師匠の部屋に入ると「オレが寝てたら起こしてでも見せろ、ここは寝る場所じゃなくて仕事場なんだから」とのこと。でもね、「何時に起こして」って頼まれてるならともかく、いきなり叩き起こせるわけないじゃないですか。

寝るのは3分だけ

会社で徹夜するとき、睡魔に負けて仮眠をとると、つい何時間も眠ることになりかねない。だから寝るなら3分だけにしとけってことです。深い睡りに落ちる前に起きろと。この頃の師匠はたっぷり眠ってましたがw、「タイガーマスク」の頃は3分仮眠を実践してたそうです。ホントかな〜?

これでいいんです!

師匠が作監でない作品でもチェックを受けると書きましたが、師匠にOKをもらって提出した動画がリテークで戻って来たことがありました。それを師匠に伝えたら、その動画を見せろと。師匠はパラパラと動画を見た後、修正用紙に何か書いてタイムシートにセロテープで貼付けると「動画は直さなくていいから、このまま出しておけ」と言われました。その修正用紙に書いてあったのが「これでいいんです!M」でした。かっけ〜と思った瞬間です。

バスはこうじゃない

バス横位置のバスを描いたんです。演出はOKしてその原画は作監チェックへ。その作品の作監だった師匠に呼ばれました。「これは何?」「バスです」「バスはこうじゃないだろ?」「…」「バスの後ろがどうなってるか見てこい!」と言われて外に見に行きました。自分の描いた絵の間違いに気付きました。「適当な記憶で描くんじゃないよ!確認して描け」でした。さらに「こーゆーときはウソでも奥のタイヤも描いとけ」とも言われました。このままじゃペラペラに見えるからです。

キネ旬見なきゃだめだよ

新人時代に買ってた映画雑誌は「ロードショー」でしたが、映画好きな師匠の勧めで「キネマ旬報」を買うことにしました。でもキネ旬は月2回発売されるので、金かかるんだよなあ。新人の頃買ってた雑誌は他に「スターログ」「月刊プロレス」「別冊ゴング」「ぴあ」でした。因に師匠が好きな映画は「遊星よりの物体X」と「エイリアン」です。

深谷くんいるか?

そして「ぴあ買ったかい?」「キネ旬買ったかい?」と聞かれます。買ってたら見せてくれということです。発売日に聞かれるので、会社行く途中に本屋で買います。レーザーディスクを買ったときは、師匠からベータのテープを渡されるのでダビングします。師匠は机の横の押入れにダビング用の生テープをストックしています。

音消して見ろよ

TVでアニメを見るときのことです。音を出してると絵や動きのクオリティがわかりにくいからです。だからラッシュのように無音で見ると、いい部分悪い部分がよくわかるのです。かなり的を得ていると思います。今もネットでアニメを見るときは無音です。無音でつまらないのは、途中で見るのをやめちゃいます。

紅茶に砂糖入れるのかよ

台所で入れた紅茶に砂糖を入れようとしてたんです。「紅茶はお茶だろ?緑茶や麦茶に砂糖入れるか?」とのことでした。まあ、確かにそうですね。それ以来、紅茶に砂糖は入れてません。

無名時代のマックイーン

台所で仲間と「理由なき反抗」の話をしてたら、師匠が「無名時代のマックイーンがチンピラ役で出てたんだよ」って教えてくれた。それってポール・ニューマンの「傷だらけの栄光」と勘違いしてると思っても、言い返せませんでした。

オレだよ!

師匠の部屋のTVで「テレビ探偵団」見てたときのこと。「豹(ジャガー)の眼」ってゆー古いヒーロードラマのオープニング映像が流れたのです。脚本のクレジットが師匠と同じ名前だったので「あ、同姓同名じゃないすか!」って言ったら「オレだよ!」と返されました。いきなりのカミングアウトで、周りの全員がびっくり!アニメーターになる前は実写ドラマの脚本書いてたそうなんです。アニメーターとしては「宇宙エース」の動画が最初とのこと。

馬場はでかい

「タイガーマスク」の頃、ジャイアント馬場が東映のスタッフルームに来たことあるんだよ。K村圭一郎もでかかったが、それよりはるかにでかかったな。馬場は頭を下げないと入り口くぐれなかったよ。とのことでした。

好きなことで食ってくんだからラクなはずはない

他に思い出すのは↑のほかに「趣味と実益は兼ねられない」「アニメ作ってると思うなよ、フィルムを作ってるんだ」「アニメーターは役者だから」「アニメーターはキャメラマンだから」「映画はスクリーンで拡大されるから、特にきれいな線で描け」なんて言われたことです。もしかしたらもっと大事なこと言われてただろうけど、今は思い出せません。そして、原画になりたての頃に言われた一言が、

努力したから

師匠がオレの原画を作監チェックしてて呼び出さました。直されるのかと思ったら「よくがんばったなあ」と言われ、「Mさんのおかげです」と答えたときの言葉です。「深谷君が努力したからだよ」突然そんなこと言われてびっくりしたけど、エリック王国卒業の一言でしょうか。これからは原画マン同士、先輩後輩だよ、って意味だったのかも。

エリック師匠最後に、劇場「キン肉マン」7作めから、オレ原画によるスタッフ登場シーンを挙げておきます。真ん中でキネ旬を見てるのが師匠です。

投稿者 A.e.Suck : 12:24 PM

May 17, 2014

アニメーターの道具

アニメーターの道具WEB育ちのFlashアニメーターには馴染みがないと思われるアニメーターの道具を紹介します。先にこちらのFlashムービー内の「アニメーターの道具」を見ておいてもらうとわかりやすいよ。
ざっとこんなとこでしょう。では1つずつ紹介しますね。

トレース台

動画用紙を重ねてトレースに使います。傾斜のついた台で、昔は蛍光灯でしたが今のはLEDで板面を照らすようになって、価格も安くなりました。下描きを清書したり、前後の絵を透過させて中割りを描きます。Flashのオニオンスキンは、これをデジタル化したんです。

タップ

タップ

重ねた動画用紙を固定する道具です。薄い方が使いやすいです。マイタップがあればどこでも仕事できます。

動画用紙

3つのタップ穴があいてます。すべてのアニメーターが使用する作画をするための紙です。Flashのステージのようなものです。下描きにも清書にも使うので、最も大量に消費します。紙質は様々ですが、自分はザラザラよりツルツルが好きでした。

レイアウト用紙

ガイドフレームが印刷された動画用紙です。レイアウトに使います。第二原画マンや動画マンは使いません。Flashのガイドレイヤーですね。

修正用紙

色付きの薄い動画用紙です。作画監督が、原画に重ねてを修正を描き込みます。動画マンは修正と原画を重ねてクリーンナップします。

絵コンテ用紙

演出や絵コンテマンが絵コンテを切るときに使います。シーンnannba-、カットナンバー、絵、ト書き、セリフ、秒+コマの欄があります。

タップ

ヘアクリップ

動画マンがタップ割りをするときに複数の動画用紙を固定するために使います。円弧よりはフラットで薄いクリップがいいです。タップ割りとはタップ穴を元に行うので、タップが使えないからです。タップ割りについてはこちらのFlashムービーを参照してください。Flashにもタップ割りツールがあればいいんだけど。

タイムシート

原画マンが動画マンへの中割り指示と、撮影への撮影指示を記入します。Flashのタイムラインに相当します。

文具

以上はスタジオからの支給品です。最後に、自分で揃える一般的な文具です。定規、自在定規テンプレート定規、コンパス、カッター、セロテープ、鉛筆、赤鉛筆、消しゴム、電動シャープナー、卓上鏡などですね。

投稿者 A.e.Suck : 08:55 PM

May 16, 2014

35周年

35周年
おかげさまで、アニメーターとして35周年を迎えました。そして、35年のうち17年がFlashアニメーターだったことに気付きました!いつのまにかキャリアのほぼ半分になってたとはw 今後ともよろしくお願いします。
The 35th anniversary was able to be celebrated about the animator which is your favor.
And a Flash animator is 17 of 35 years. I'm surprised at the thing of a career for which Flash occupied the half mostly.
I would appreciate your favor in the future !
投稿者 A.e.Suck : 01:52 PM

March 28, 2014

Get Flash Player Museum

Adobe Topネット上で「Get Adobe Flash Player」バナーを見かけることはほとんどなくなった。アドビのサイトでも「Get Adobe Flash Player」バナーが消えて久しい。これじゃ味も素っ気もありゃしない。でも「Get Adobe Flash Player」バナーの提供は今もされてる。今ではウェブ・ロゴと言うらしい。使用許諾条件に同意することで「Get Adobe Flash Player」をダウンロードして、誰でも利用できることになってる。もちろん、Flash Playerのダウンロードへリンクすること。

使用許諾条件
ウェブ・ロゴのダウンロード
リンク先

Get Web Logo

現在ダウンロードできるのがこのタイプ。160X41のgifイメージ。

Get Flash Player

88X31だった頃からしたら大きくなったもんだ。そうそう、このウェブ・ロゴに歴史あり。マクロメディアのShockwave Flash時代からコレクションを一挙大公開しちゃおう。

ウェブ・ロゴ史

Get Flash Player Museumへようこそ。古いバックアップHDを漁って集めたスクリーンショットがこちらです。FlashだけでなくShockwaveのウェブ・ロゴも並べてみました。だって元はブラザーだったんだもの。もちろん原寸大ですよ。これだけまとめて見られるのは世界でもここだけでしょうw

Get Flash Player

投稿者 A.e.Suck : 06:07 PM

February 04, 2014

マイサポートプロファイル

マイサポートプロファイルApple IDで管理できるマイサポートプロファイルは「お使いの製品、サポート、および連絡先情報の管理をワンストップで行うことができます。」というApple製品ユーザーのためのサポートページです。自分のマイサポートプロファイルを見てみたら、登録製品一覧に登録したはずがない製品がありました。iPhone 3GSです。買ったことも所有したこともありません!でもシリアル番号は見覚えが、、、Cinema HD Displayのシリアル番号だ。なんということでしょう、登録したディスプレイがiPhoneに化けてるではありませんか!ちなみにこのiPhone 3GS、写真がありませんが、登録製品別ページから「アップルサポートの連絡先」をクリックするとCinema Displayのサムネールは出て来ます。これはおかしい!Appleのサポートを申し込むと、すぐに電話がかかってきました。Appleのスペシャリストの人と画面共有して現象を確認してもらいました。いったん削除して、再登録してみようと。

ということで、マイサポートプロファイルに登録した製品を削除する方法を紹介します。だって落とし穴があるから。まあ、登録した製品を削除するなんてないと思うけど、たとえば人に譲ったり処分したりして手元になくなった場合や、複数のAppe IDに登録された製品をまとめたい場合にも登録解除を行います。

マイサポートプロファイル
「製品を編集」を選びます

マイサポートプロファイル
「×」をクリックすると登録解除できるようになるので「登録解除」をクリック。実はここからは登録解除できません!何時間待ってもできません。サーバから応答はなく、セッション切れになるだけ。このことをスペシャリストに伝えると、後日電話がありました。登録解除はもうひとつ方法があるのです!

マイサポートプロファイル
「製品を編集」は諦めて、iPhone 3GSの登録製品別ページに移動します

マイサポートプロファイル
iPhone 3GSのページで「登録解除」を選びます

マイサポートプロファイル
確認されるのでもう一度「登録解除」をクリックします。簡単に登録解除できたっ!
さて、iPhone 3GSを削除したところで、改めてCinema HD Displayのシリアル番号を登録しました

マイサポートプロファイル
やっぱりダメでした。Appleのサポートの連絡し、内部報告してもらうことになりました。

マイサポートプロファイル→マイサポート

マイサポートプロファイルはなくなっちゃって、マイサポートになった。
Appleマイサポート

January 19, 2014

さらば!Flash 8

mavericks

OSをMavericksにアップデートすることにした。Snow Leopardは10.6.8から2匹のLionを飛び越して一気に10.9.1へ。期待される効果は、Flash CCから書き出したMOVの中間色シフト問題改善。伴う犠牲はPowerPCネイティブなアプリケーションとの決別だ。それにはあのFlash 8も含まれる。Flash 8と言えば、歴代最高のFlash。8年間という、もっとも長く付き合ってきたFlashなのです。地獄の底まで共にするつもりだったんです。そのFlash 8を切り捨ててもMavericksをインストールする決心をしたんです。

インストール前

インストール前

Mavericksをインストールしようとすると、PowerPCのアプリは動かなくなりますよって警告がでる。iView MediaProってのは、画像のビューワーソフト。今も使ってるんだけど、これも使えなくなるのか、うーん、ちょっとためらう。資料の画像やビデオを案件ごとにカタログ化して管理・参照してるんだけどなー。でもMSに買収されてMac版の開発は終わってるし、諦めて他のを探そう。

インストール後

インストール後10.9.1にアップデート完了。新しいドックの中で、Flash 8がかわいそうなことにOSからディスられてる。Flash 8は「とうとう殺してくれたな」と言いました。でも必要なときはPowerBook G4に入れてあげるから。インストール前に警告されんかったけど、Swift 3D v5も使えなくなってたので、Flash 8やiView MediaProと一緒に削除しました。使えなくなったSnapz Pro Xはアップデート。逆に使えるようになった使えるようになったAfter Effects CCをインストール。Mavericksのインストーラに削除されたQuickTime Pro 7を再インストール。

MavericksだとDVDプレーヤーの再生画像がSnapz Pro Xでキャプチャできなくなってたのがショック。思わぬ弊害が出てしまいましたが、それどころではなかった!なんと重要なものが動きまへん・・・

Flash CC 13.1インストール

mavericksなんと、Flash CCが開けなくなってる!どんな問題が起きたにせよ、見たくないアラートなのでショックだ〜!仕方がないので、Flash CCをいったんアンインストール。改めてFlash CCをインストールしたら無事動きましたとさ。

Mavericks設定

最後に、オレにとっては5年ぶりの新OSってことで、設定し直したことをメモしておきます。
  • ライブラリ:ホームの表示オプションで「ライブラリフォルダを表示」に
  • Finder:スクロールバーがペンだとダメなので、一般設定で「常に表示」に変更
  • mail.app:縦カラムは使いづらいのでクラシックレイアウトに。Mailboxesから元のメールフォルダを読み込み
  • Safari:ブックマークのfaviconを保存してくれんので、ライブラリのIconsフォルダの中身を捨てた
投稿者 A.e.Suck : 11:19 PM

September 20, 2013

フリップブック革命

フリップブックFlashってFBを作ることにも向いてる気がする。FBと言ってもFacebookじゃないよ。さわれるアニメーション、Flipbookのことです。連続した写真や絵が冊子になっててパラパラ見るやつ。フリップブックは楽しいよ。アマゾンだとこんな感じでヒットするけど、手に取れないからよくわからんし、種類も少ない。

逆にリアル本屋さんでフリップブックを見かけると、ついついパラパラしたくなっちゃうよね。やっぱフリップブックはさわってパラパラしてなんぼだし。

フリップブックは、パラパラするだけで読者がFPSを自由にコントロールできるアニメーションなのです。そんな子供でも楽しめるフリップブックは、ポップアップ絵本と同じく、電書じゃ再現不可能なので、このまま存続していくでしょう。でも、現在の仕様には問題があると思うんです。

ありがちなフリップブック

フリップブックところで、このフリップブックだけど、不満が2つある。見にくいこと!これ致命的だと思うんだけど。これは日本だけじゃなく、世界中のフリップブックに言えるんだが、表紙が上で、上から順番に見て行くようになってる。パラパラ漫画ってそーゆーもんだと思うでしょ?実際は上からめくっていくのはパラパラしにくいのだ。

もうひとつの不満はサイズがみんなちっさいこと。これはサイズがおっきくなると、もっとパラパラしにくくなるのでフリップブックはちっさいのばっかだ。この仕様、誰が決めたんだ?

動画用紙

動画用紙
パラパラと言えば、上の図でしょ。これはアニメ業界で日常的に見られる作業。アニメーターや演出ならみーんなやってる、原画や動画の動きの確認作業。若い番号から上に重ねていった動画用紙の束を揃えて、親指でめくってパラパラする。動きが見やすいし、様々なサイズにも対応できる技。これこそが理にかなったパラパラ方なのだ。もちろん、世界中のアニメ業界で伝統的に行われているので間違いない。

理想的なフリップブック

新フリップブック試しに市販のフリップブックを動画用紙のように持ってパラパラしてごらんなさい。動きは逆になるけどパラパラしやすいし見やすいよ。つまりフリップブックは尻(最後のページ)から見るような順番にすればいいのよ。その方が見やすいし、でっかいやつだってOKなんだから。しかも左図のように置いたままでも見れるので片手でパラパラできちゃう。どうよ?

フリップブックの歴史が変わる?

マイブリッジの糸I

マイブリッジの糸I

山村浩二
パルコ(ISBN: 4-8919-4909-0)
山村浩二さんが2011年に制作したアニメーション映画「マイブリッジの糸」をフリップブック化した本は、世界初の左右双方向から見ることができる四次元綴じだそうです。

マイブリッジの糸II

マイブリッジの糸II

山村浩二
パルコ(ISBN: 4-8919-4910-4)
二分冊で、こちらが後編。


投稿者 A.e.Suck : 03:12 AM

August 07, 2013

Flashアニメクレクレ詐欺

あれから1ヶ月以上たつが、メールも電話もないのを思い出した。

1ヶ月ほど前のFlashアニメ制作の見積もり依頼があった。15秒つってもピンキリなので、ざっくりと見積もってメールで返信した。守秘の関係かもしれんが、もう少し情報くれなきゃ大雑把な見積もりしかできない。逆に決められた予算に合わせて作れるのがFlashのいいとこなんだけどねー。ま、多くの場合、見積もった段階で終了。受注につながらないどころか、返事が来ることさえない(稀にだが、だめでも返事をくれる人はいる)。オレより安い人が見つかったんだろう、いつものことだ。

ところが数日おいて、返事が来た。クライアントにサンプルを見せたいので、スマホで見られる形で送ってほしいとのことだった。サンプルはae-suck.comに上げてあるFlashアニメを指定してきた。それをHTML5かビデオにしろってことか?ところがそのアニメ、10年以上前のでFLA探しからしなきゃなんない。忙しいし、そんな急に言われても、やってらんない。無視しようかな、うーん。

バックアップのHDの中を探したけど見つからなし、AEにSWF貼ってビデオ書き出しするかな。音はなくなるけど。眠っていた古いPowerBook G4を起動してみたら、その中に見つかった。ビデオは書き出して、YouTubeにアップして、そのURLをお伝えした。

以来、音沙汰がない。思い出したら、なんか腹がたってきた。忙しい時間をさいて作業したのに、それっきりなんてひどい。せめてどうなったかくらいは知らせてほしいよ。こういうケースはほんと、稀だなあ。

こんな記事がありました。クリエーター狙う取り込み詐欺急増 急増なのか!特に記事の最後に注目「商品説明やキャンペーンPRなどのアニメは3分100万円の値段がつく」だって!なんじゃそりゃあ!まあ、そんなに出るとは思えんけどなw

あと、ギャラの提示のないコンペや参加依頼や、ワケのわからんコンテストの誘いなんかもスルーしましょう。

依頼や問い合わせの返事を出す場合は、相手のメールアカウント(ドメインも)はもちろん、依頼者本人のfacebookやLinkedinなどとその会社のサイトを可能な限りチェックしてからにしましょう。

投稿者 A.e.Suck : 02:33 AM

August 28, 2012

1984年のロローデス

YouTubeで俺が原画を担当したシーンを見つけました。「キン肉マン」第22話Bパート、頭から4分半です。キン肉マン対ビューティー・ロローデス戦です。会場はNYのMSG。この当時はまだ社内の班体制も健在で、まとまったカット数を楽しんでやってた時期。この22話はアメリカ遠征する話で、全日本プロレス色がますます濃くなってきて、ノリノリでノビノビとやらせてもらった。しかも、超人同盟の刺客ビューティー・ロローデスのモデルはアメリカン・ドリームと呼ばれた元NWA世界王者ダスティ・ローデスなんだもん。いかにローデスっぽく見せるかが個人的なテーマで、満足いくデキになった。ローデスは新日のMSGシリーズに来日したとき、蔵前のリングサイドで見てます。結構楽しんでやってた頃で思い入れもあるので、上のビデオを見ながら当時を思い出してみます。
Bパートの原画は前半がオレ、後半がM田です。アメリカ遠征ってことで客席もアメリカンな観客を描きました。キン肉マンの入場時に客席にブルース・ブラザースやブルーザー・ブロディがいます。リングサイドの真弓がフレームアウトすると見える後ろの席の人は誰でしょう。

前述したように、ロローデスはローデスです。原作に関係なく、自分では完全にローデスとして作画してます。ローデス特有のトリッキーなムーヴ、左のパンチ〜バイオニックエルボーもローデスの再現です。もちろん演出はこんなこと要求してませんからオレの趣味ですw。腰振りポーズや対戦相手を見下したポーズもすべてローデスのポーズです。元々プロレス好きなので、資料には困りません。別冊ゴングやベースボールマガジン社のプロレスアルバム13「ダスティー・ローデス」、そして放送を録画した試合ビデオを参考にしてます。

リングサイドで観戦しているこの2人は世界超人協会の会長ドーロ・フレアースとイヤデス・ハリソン。原作にも出てくるキャラです。ドーロ・フレアースのモデルはPWF会長のロード・ブレアース、全日のビッグマッチには欠かせない人です。イヤデス・ハリソンのモデルはアメリカ人タレントのイーデス・ハンソン。全日本プロレスのファンで会場ではよくリングサイドで見かけました。それを知ってる全日ファンのゆでたまご、会場通いしてることが伺い知れます。
投稿者 A.e.Suck : 03:30 PM

July 10, 2012

ヌルヌルとぬるぬる

購入検討中だったBRAVIAをヨドに見に行ったときのこと。「4倍速モーションフローで、アニメがヌルヌル動きます!」だと。なに〜ぃ、アニメがぬるぬる動いたらダメじゃん、自慢にならんわ!って思ったが、つまりこーゆーことだ。どうやら「ヌルヌル動く」ってのは「カクカクしないで滑らかに動く」って意味らしい。なんじゃそりゃー。こーゆー表現はテレビだけでなく3DCG、ゲーム、スマホなどの動きでも褒め言葉として使われるようだ。言われてみれば、ぬるぬる=滑らかな感じはする。ぬるぬる動く!すげー!いいよね、いいよね!となる。

ところがアニメーション的にはネガティブな意味になる。ぬるぬるはダメなアニメなの。動きのタイミングがぬるいことだから。ぬるいってのは手ぬるいとか生温いのぬるい。「動きがぬるぬる」なんて評価されたアニメーターは激怒するか落ち込んでスランプになるかだ。

アニメでのぬるぬるは、キレがない、シャキッとしてない、メリハリがない、気持ち悪い場合に言える。原画が足りなかったり、中枚数が不適切だったり、ツメてなくて均等割りになってれば、ぬるぬるになりやすい。カクカクしてなくて滑らかでも、リアルな動きや心地よい動きとは限らない。

それと、通常は24FPSの2コマ打ち(実質12FPS)でフルアニメが可能だけど、それでも原画が適切でなければ(クッションやアンチなどを無視)ぬるぬるアニメになっちゃう。そのため、実質24FPSのロトスコープはぬるぬるになりやすい。1秒あたりの枚数が多けりゃ滑らかになるとは限らないのよ。ぬるくならないように気をつけないと。

動画マンはタイムシートに従って割ってるので、よほどのヘタクソでない限りぬるぬるの原因にはならない。タイムシートに指示をした原画マンの能力不足であり、OKした作監の失態になる。ワイルドなアニメーターなら「ぬるぬる動かしてやったぜ」って自慢するだろうけど、普通はぬるぬるを目指すアニメーターはいない。

デジタルアニメではいい意味の「ヌルヌル」、手描き(アナログ)アニメでは悪い意味ってことで「ぬるぬる」よろしく。

投稿者 A.e.Suck : 01:16 AM

May 31, 2012

33周年

1979年5月にアニメーターになってから34年目に入った。入門当時に持参したのは「アニメーションの本」「動物の描き方」「人体のデッサン技法」の3冊。今回はアニメーターになりたての1979年に買ったアニメーター的定番書籍を思い出してみる。

ショート・ピース

ショート・ピースアニメーターになりたての頃、先輩に勧められて買ったのが大友克洋自選作品集1「ショート・ピース」(奇想天外コミックス)。オレはマンガってほとんど読まないの。特に連載ものは毎週続けて読まなければいけないのが苦手なんだろう。だから旬のマンガやマンガ雑誌には疎いのです。でも絵で食う仕事についてるわけで、アニメーターにとって大友さんの絵は人気があった。「ショート・ピース」は実写映画みたいな印象で、とにかく絵が巧いのが衝撃だった。大友さんの高い画力が凝縮されてて「すげえマンガ」に出会ってしまった印象。以降、大友さんの本は買い続けることになった。

Frank Frazetta

FRAZETTAもうひとり、アニメーター達に注目されてたのがファンタジー・アートの巨匠フランク・フラゼッタ(1928-2010)。画集は洋書なのでそのへんじゃ売ってない。先輩に銀座のイエナってゆー洋書屋を教えてもらって買いに行った。フラゼッタの画集は1〜4まで平積みで置いてあった。当時の洋書はめちゃくちゃ高かったので、1冊だけ買うことにした。見本を見ながらどれにするか迷ったけど、ラフっぽい絵が多かった「BOOK THREE」を買った。

The Art of Star Wars

The Art of Star Warsこれはアニメーターの定番ではないんだけど、「帝国の逆襲」公開を翌年に控えたこの年、洋書のイエナでとんでもない本を見つけてしまった。「スター・ウォーズ」1作目(エピソード4)シナリオに沿って、膨大なアート資料がギッシリ。ラルフ・マクウォーリーのコンセプト画、ジョー・ジョンストンの絵コンテ、ピーター・エレンショーのマット画、ジョン・モローのコスチューム・デザイン画…6000円くらいだったかな、でも買わずにいられなかったよー。

スターログとアニメージュ

スターログとアニメージュ創刊当時から読んでた雑誌「スターログ」はプロになってからも引き続き購読した。インターネットのない時代、必須の雑誌だったね。当時は「スターログ」でメビウスを知った人って多いんだろうね。79年だと「エイリアン」でノストロモの宇宙服デザインだよね。
アニメージュ79年7月号創刊時から買ってた「アニメージュ」、上京後には買わなくなっちゃた。でも79年7月号だけは手元にある。初期の「アニメージュ」には「辻真先のちょっとひとこと」という連載があった。同郷の大先生、辻真先さんが読者から送られてきたシナリオを添削するというシナリオ講座だったのよ。上京前のヒマな時期に応募したシナリオが1979年7月号に採用された。通常は大先生の辛口アドバイスでシロートがコテンパンにされるのパターンなのに、出来の良い作品としてすんごい褒められた。翌年はじめに、サンライズ版「009」の打ち上げで奇しくも辻先生と話す機会があったので、そのシナリオを書いたことを打ち明けた。「ああ、覚えていますよ、そうですか、絵が描ける方だとは思いませんでした。僕は絵が描けないからシナリオを書いてますから」って言葉をいただいた。
投稿者 A.e.Suck : 05:00 PM

May 18, 2012

CS6、無償UGへの道(2)

CS6、無償UGへの道の続きです。CS6の発売から1週間が過ぎ、やっと「無償アップグレード手続き完了のお知らせ」メールが届いた。メールの件名は文字化けして読めないけど、内容は無償アップグレードクーポンコードとダウンロード手順。クーポンコードの有効期限は2012年8月5日になってるが、もちろん今すぐ使いますよ。アドビストアに行って、アップグレードするCS6製品を選ぶ。

製品の選択

製品の選択アップグレード版を選んで、先日購入した5.5製品を選択。納品方法は[ダウンロード]を選ぶ。カートに追加すると、カートの内容が表示される。この時点ではまだ有償だよ。

カートの内容

カートの内容このままレジに進むと普通の買い物になっちゃう。その前に、左側ににあるクーポンコード欄に無償アップグレードクーポンコードを入力。

レジに進む

クーポンコード合計金額が0円になる!これで無償になったぞ。さあ、レジに進むのだー。

ダウンロード

レシート続けてAdobe IDでログインし、カスタマー認証で住所を確認する。「注文する」をクリックすると、レシート画面になるので、「現在の状況」にあるダウンロードをクリックする。すでに体験版をインストール済みであればダウンロードの必要はないのでここまで。シリアル番号がメールで届くのを待つ。ダウンロードをクリックすると、シリアル番号が出るのでコピペしてからダウンロードを始める。まず、Akamai NetSession Installer.dmgをダウンロードし、このダウンローダーを使ってCS6アップグレード製品のダウンロードを始める。あとはダウンロードが終わるまでお茶でも飲んで待とう。
ダウンロード

インストール

シリアル番号ダウンロードしたインストーラーを起動してシリアル番号を入力。もし、シリアル番号の控えがテキストであれば、ハイフンごとコピーしちゃおう。この状態で一発でペーストできるので入力する手間が省ける。今回、アップグレード元の5.5はインストールしてないので、5.5のシリアル番号も聞かれる。5.5のシリアルもコピペしたら、いよいよインストール開始。時間は大してかからないので、メシ食いに行く余裕はないぞ。
インストール完了
インストール完了。今回Flashをインストールしなかったのは、すでに単体製品をインストール済みだったから。
投稿者 A.e.Suck : 02:12 PM

April 25, 2012

CS6、無償UGへの道

Creative CloudとCreative Suite 6、オレは迷わず後者だね。ただ、Flashは単体で毎回UGしてるけど、Production PremiumはCS5からのUGになる。CS5→CS6へのUGはパッケージ版だと98,700円、ダウンロード版だと94,000円。うーん、10万近いな。それなら、5.5にUGして6へは無償UGすればいい。CS5→CS5.5へのUGならパッケージ版だと58,700円、ダウンロード版だと56,000円。パッケージ版を買ったとしても、40,000円お得。

ちなみに前回CS3からCS5にUGするときも、いったんCS4にUGしてからCS5に無償UGすることで35,700円得した。そん時の詳細はCS5にアップグレードしたを参照。

アドビストアさっそくCS5.5 Production Premiumのアップグレード版を購入しようと思ったが、すでにヨドでもアマゾンでも取り扱いがなく、アドビストアへ。CS5.5 Production Premiumを選んでなんやかんや選んで、カートに追加しようと思ったら、左の余白に何か書いてあることに気付いたよ。

この製品はCS6無償アップグレード対象製品です。 詳しくは必ずこちらをご確認ください。
参照先を見てみると、注文前に電話で問い合わせるようにってことだった。はいはい、CS5のシリアルも用意して、アドビストア注文窓口に電話した。これがなっかなかつながらなかった。テープの音声は「このまましばらくお待ちください。お待ちいただいたお客様には5%の割引クーポンを差し上げます。詳しくは0120 613 884にお問い合わせください」のループ。そこにかけてるんだけど!

やっと注文窓口につながった。パッケージ版でよければこのまま注文できるとのこと。しかも、CS6無償UG対象であるだけでなく、なんと15%オフなので49,980円だって。え〜!何でそんなに安いの?って聞いちゃったもん。まあ、在庫一掃セールみたいなもんか。パッケージ版なのにダウンロード版よりも安いとは!さらに送料無料。注文はしたものの、受付担当とのやりとり終了。ECで言えばカートに入れたとこ。

しばらくしたら、決済担当から電話がかかってきて、クレジットカードの番号を口答で伝えて決済完了。5%のクーポンについてはなんかうやむや。無償UGはダウンロード版になるけど手続きの方法についてはわからないので、無償UG担当に電話して聞いてほしいと電話番号を教わった。製品が届いたら電話してみるよ。これでCS6をゲットできれば44,020円得したことになる。

追記(4.27)

5.5アップグレードの製品パッケージが届いたので、製品登録してから無償UG係に電話した。5.11前後に送るメールに書いてあるURLからダウンロードしてくださいとのことでした。今は何もしなくていいので、メール待ち。

追記(5.17)

メールが届かないので、無償UG係に電話した。順次送信しているがまだうちには届いてない状態とのこと。優先してメールを送信するよう手配するので、遅くとも明日には届くはずと。メール待ち。

追記(5.18)

ということで、無償アップグレードクーポンコードが記載されたメールが届いた。アドビストアでアップグレード対象製品をカートに入れ、クーポンコードを入力し、0円になったところで決済するとダウンロードできる。詳しくはこちらを見てね。

投稿者 A.e.Suck : 06:11 PM

December 12, 2010

ヤマトな思い出

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」ヒットしてますね…。オレも初日に観てきました。感想はこちらに書いたんで、ここではファンとして、スタッフとして、「ヤマト」との関わりを思い出してみます。作品の話よりも体験的な方が面白そうだし。

TV「宇宙戦艦ヤマト」

中2の頃、TVで「宇宙戦艦ヤマト」が始まりました。でもオレは裏番組見てたの。「ハイジ」じゃなくって「猿の軍団」の方。ところが学校では「ヤマト」が盛り上がってて、みんなに勧められて見るようになったんです。ヤマトはもう地球を出発してましたが、すぐハマりましたよ。というか、ヤマトオタクでした。本、雑誌、レコード、プラモなどを買ったり、絵を描いたり。今でもソラでヤマト描けますよ。あ、同人誌作ったりもしたなあ。

劇場「宇宙戦艦ヤマト」

1977年、TVシリーズを再編集した劇場版の封切り時には、初めて徹夜して並びました。高2の夏です。地元のTV局が取材に来ててニュースに映ったんじゃなかったかな。名鉄グランドホテルでは「ヤマト」の感謝パーティーが開かれ、ファンとして招かれました。なぜオレが招待されたのかわかりません。この時、西崎プロデューサーに「ありがとう、ありがとう」ときつ〜く握手されたのが印象に残ってます。ささきいさおが主題歌歌ってたっけ。

劇場「さらば宇宙戦艦ヤマト」

翌年の夏に公開されました、東映動画が制作したれっきとした劇場用長編作品です。もちろん初日に観ました。名古屋ローカルですが土曜お昼に生放送の特番が組まれ、ファンとして出演しました。夏休み中ってこともあって、演劇部の合宿中だったんだけど、オレだけ抜け出して東海テレビに行きました。オレの出番は「アテレコに挑戦」というコーナーです。映画の1シーンに合わせて、シナリオを見ながら古代のセリフを言うんです。リハで相手役の麻上洋子さんはシナリオを確認してました。オレのシナリオはありません。ディレクター曰く「だって、ぶっつけ本番の方が面白いでしょ」ってことでした。なるほど。番組が進行し、いよいよ「アテレコ」のコーナーです。司会者が「挑戦してみたい人!」とひな壇に呼びかけると、打ち合わせ通りオレが狂ったように挙手します。指名されてバミリまで行きます。ちょっと遠回りして躓いたりしてダメダメ感を表現したのはアドリブです。医務室で古代が雪を見つけたシーンの映像が流れました。このシーンか…。生放送でぶっつけ本番の始まり。
オレ「馬鹿だよ君は。地球にいれば平和に暮らしていけるのに、こんな危険な旅へ紛れ込むなんて無茶だ」
麻上「私もヤマトの仲間の一人よ。みんなが行くなら私も一緒に、古代君たちのそばに居たかったのよ」
オレ「雪…!」
こんな感じ。オレは本番に強いので、ノーミスで噛みもせず、芝居的にバッチリ決めました。登場のボケ加減とぶっつけの演技力のギャップが好評でした。ゲストの舛田利雄監督が「うまいねえ、ボクの映画に出て欲しいよ!」なんて言ってました。司会者に「麻上さんと共演していかがでした?」と振られたので「森雪役が綺麗な人でよかった〜!」とか返しました。

さあ、以降は「ヤマト」が仕事になりますよ。

TV「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」

1979年の夏休みにCXでOAされた、当時流行のテレフィーチャー(TVスペシャル)です。オレはアニメーターになりたてだったスタジオエイト時代です。制作が東映ではなく、西崎さんのアカデミー製作だったこともあり、制作体制が惨かったようです。あり得ないOA直前の追い込みで、新人のオレも動画を手伝いました。動画マン全員での徹夜で、会社が夜食に出前をとってくれたのはこの時だけです(出前は会社から徒歩45秒ほどにある「やぶ恵」という中華料理店。2階はボロアパートで、そこの4畳半にM田と住んでました)。文字通り、ギリギリまで作業してました。初号もなかったんじゃないかなー。オレがやったカットで覚えてるのは、冒頭のガミラス艦隊やガミラス兵のモブです。モブは勝手にいろんな顔を描きましたよ。セルになったら青で塗られちゃうけど、馬場とか猪木とか超人ハルクとか。OA当日は会社の旅行でした。千葉の民宿でみんなで爆笑しながら見たなあ。

劇場「ヤマトよ永遠に」

1980年、スタジオエイトの解散で、オレとM田は師匠と共にスタジオコクピットに移籍していました。オレとM田は「やぶ恵」から、大泉学園の柏荘ってアパートに引っ越しました。その夏に公開されたのが「永遠に」です。制作は東映動画とアカデミー製作ですが、実質東映ですね、スタッフルームも東映にあったし。師匠が原画を担当してたし、オレも劇場用に慣れてきた頃で、結構動画やったような。この時期、目白通りの横断歩道でトラックにはねられてしまいました。同居のM田に仕事を持ってきてもらって自宅で動画してました。そん時やったので面倒だったのが、ヤマトの第1砲塔から第2砲塔にPANする横に長いカットです。砲塔が回転しながら狙いを定める動画です。難しいし面倒だし。あと、女性キャラ担当の高橋信也さんデザインによるサーシャも面倒でした。作画の指定が細かくて、目とか髪とか線のタッチとかね。チェックも厳しかったと思います。動画クレジットのコクピット枠は先輩まで。初号試写観に行ったけど、劇場でも観たはず。

TV「宇宙戦艦ヤマトIII」

アカデミー製作は東京動画って名前に変わったものの、制作体制は醜いままだったんじゃないかな。これがコクピットの近所にあったことから、動画の仕事が入ってきてました。ある夜、帰ろうかと思ったら東京動画の進行がカット袋をどっさり持って来て「動画助けてください、社長には明日話しておきますので!」オレとM田はいやいやながらも動画枚数を稼ぐために引き受けることにしました。カット袋の束を2人で分け、徹夜でがんばったんです。まあ、大して枚数上がんなかったけどね。

劇場「宇宙戦艦ヤマト 完結編」

オレはTVシリーズの原画マンだったので関わってないけど、初号は観に行きました。コクピットの動画マンは新人からベテランまで35人全員がクレジットされてましたよ。
投稿者 A.e.Suck : 06:11 AM

August 16, 2010

F-siteセミナー アニメーターの話

2010年8月7日のF-siteセミナーで使用したスライドです。多少補足を加えてあります。伝統的な手描きのアニメーター職について話しました。この他は「こんなFlashアニメーターはいやだ」のコーナー、31周年記念原画担当作品歴MADの上映、「エンディングを見てみよう」のコーナーなどですね。タイムシート、動画用紙、レイアウト用紙、タップの現物も見せました。FlashのセミナーでFlashの話をしなかったのはたぶん二度目かな。スライドだけFlashですw

こんなFlashアニメーターはいやだ

  • ライブラリにアイテムがない
  • ライブラリのアイテム名がすべてトゥイーン+番号
  • モーションとアニメーションの違いがわかっていない
  • 変形の中心点が基準点だと思っている
  • 絵コンテに従わない
  • SWFが異常に重い
  • 納品が必ずFLV
  • 打ち合わせに弁護士同伴で来る
  • 打ち合わせに母親同伴で来る
  • 打ち合わせに子供連れで来る
  • 打ち合わせ後消息を絶つ
  • マクロメディアのサポートに電話がつながらないと怒っている
  • Flash 2Jからバージョンアップしていない
  • 電気を止められている
投稿者 A.e.Suck : 04:45 PM

May 27, 2010

CS5にアップグレードした

CS5 Production Premium

4.12

Flashは単品でUGしてるけど、スイーツ製品は毎回してるわけではない。前回CS4にUGしなかったのは、Flash CS4だけ単品でUGしたのと、After EffectsがG5で使えなかったから。今回はProduction Premium CS5にUGしようと思う。

CS3→CS5のUGだと134,400円。CS3→CS4のUGだと98,700円。CS4→CS5のUGは今なら無償。てことは、CS4にUGしてCS5に無償UGすれば35,700円も得だ。てことでヨドコムでCS4 Production Premium UGパッケージを購入。ポイントは10%還元。購入直後[在庫僅少]が[お取り寄せ]になった。よかった〜!

4.13

ヨドコムからCS4 Production Premium UG届いた。で、早速インストールして、アドビに製品登録。そして無償アップグレードの申し込み手続き。郵送でもできるけど、このままウェブでやっちゃおう。申し込みフォームを記入してたら、UG製品のポップアップに [Production Premium] がないので選べない!アドビのカスタマーサービスに電話したら、[Production Studio PRM] のことなんだと。わかるかーっ!それ製品名ちゃうやん。あとは、パッケージの底の18桁の番号、、、ない、、、、ない場合は、、、バーコードシール部分を切り取って…ということは郵送でしか申し込めんってかorz...申込書PDFをプリントアウト、うちにはプリンタがないのでセブンイレブンで印刷した。そして郵送用にヨドの領収書もコピー。帰って封筒に入れて、箱の底のバーコードを切り取って同封。これを那覇のカスタマーサービスに郵送。

5.26

CS5 Production Premium UGパッケージが到着。発売日より2日も早い!

投稿者 A.e.Suck : 05:12 PM

May 16, 2010

31周年

31周年1年前のエントリー30周年では、アニメーター初日を振り返りましたので、今年はそのプリクエルです。前に書いたように、ある人の紹介で業界入りしたんですが、その恩人はいまだ現役のベテランアニメーターで、マイティ井上さんとしておきます。話は1977年まで遡ります。

マイティさんとの出会いは、高2の夏だったと思います。三越名古屋店はその頃、オリエンタル中村というデパートだったのです。そこで「夏休み子供アニメ教室」ってイベントやってました。講師は「キャンディキャンディ」の作監ということで、友人のM田と見に行きました。いい年なのでアニメ教室を遠目に見て、休憩時間に講師の方を伺いました。マイティさんです。名前はTVで知ってました。1965年に東映動画の狭き門を突破して入社し「わんぱく王子」の動画から担当したベテランです。「こういう仕事に興味ある?」と聞かれ「あります」と答えました。「そうかあ、僕、育てたいんだよなあ。じゃあ、明日は星ヶ丘店にいるから絵見せて。ラクガキでもいいから。描きためたのあるでしょ」ということで、突然アニメーターへの門が見えてきて、この瞬間アニメーター志望になりました。アニメーターになりたくて活動していたわけでもなく、降って湧いたんです。

そもそもアニメーターという職には疎かったです。巧いアニメーターの名前は大勢知ってましたが、雲の上の存在というか。高校の友達が「アニメーターになりたい」ってのを聞いても、現実味を感じませんでした。まったく遠い世界でまるで接点もないし、なれるものだとは思ってもいませんでした。それよりは吉本に入りたかったんですよ、その頃は。でも、なれるもんならなりたい。絵を描くのも好きでだし、映画も好きだし、アニメも好き。それが仕事にできるなら凄いことだと。ダメモトで絵を見てもらおう!描きためた絵なんかないですから、その日は徹夜でラクガキをいっぱい描きました。デッサンぽいものや、アニメの模写などをラクガキ帳に描きました。翌日はM田と絵を持って会いに行きました。プロに絵を見せるなんて恥ずかしくてドキドキです。二人とも「始めるなら早い方がいい。高校卒業したら東京においで」と言われました。門は開かれました。もちろん、親は反対しました。今度はオレとM田がそれぞれオカン同伴で東京に会いに行くことになりました。

待ち合わせ場所はひばりヶ丘ボウル。ロビーに到着すると支配人らしき人が「マイティさんはこちらです」と案内されました。マイティさんはゲーム中でした。マイティさんの輝かしい戦績も展示されていました。マイティさんはセミプロのボウラーでもあったのです。マイティさんに会うには家よりもひばりヶ丘ボウルだし、連絡をとるにもひばりヶ丘ボウルでした。アニメ業界では、ボウラーとして知られていたようです。その後マイティさんのお宅へお邪魔すると、奥さんと娘さんがいらっしゃいました。決して広くはないアパートには、ボウリングの大会で獲た景品やトロフィーがズラリ。二人の親は不信感が募りましたが、マイティさんの熱心な説得と自信に、半信半疑のまま「よろしく」みたいな方向になりました。進学のために通っていた河合塾も退学し、高校卒業までの1年余り、デッサンにいそしむことになりました。
アニメーターになるにしても、親は心配だったようで、専門学校はどうか?ということになりました。そこで、翌年からアニメーション学科が新設されるという東京デザイナー学院名古屋校にオカン同伴で面談に行きました。M田とオカンも一緒です。面談に応じた東デの先生はグラフィックデザイン科の講師で「アニメーターでは食えないから、アニメ科でなくグラフィックデザイン科を選びなさい」ってことでした。それじゃ意味ねえし、マイティさんの「東デに行くより、すぐ始めた方がいい。僕に任せて」というアドバイスに従うことにしました。東デは却下です。

マイティさんに弟子入りするということは、どこで修行するんでしょう?ひばりヶ丘ボウルでしょうか。マイティさんも「育てたい」って言ってましたが、フリーの身。高校卒業を控え、卒業生名簿に就職先を記載しなければならないので、電話で聞きました。そしたら「アーツプロって書いといて」と言われました。アーツプロはアニメの音響プロダクションです。アーツプロ内にマイティさんの仕切りで作画部を設けるってことでしょうか。だから高校の卒業生名簿には就職先がアーツプロになってます。ほとんどの人が劇団だと思ってたようです。

ところが4月になってもマイティさんから連絡はなく、名古屋でずっと待つ日々。上京したことになってますから、友達に見つかると気まずい。でも地下街とかうろついてると見つかったりして、「東京の劇団に入ったんじゃなかったの?」って驚かれました。

やがてマイティさんから連絡があり、見捨てられたんではないことがわかってホッとしました。「アーツプロではなくスタジオエイトになった」とのことで、どんな事情でそうなったかは知りませんが、びっくりしました。ただし、工事してるからもう少し待つように言われました。マイティさんは自分で育てるつもりだったんでしょうが、それができなくなり、エイトにブッキングしてくれたんだと思います。アパートも手配してくれました。

エイトへの受け入れ体制が整い次第上京し、合流したマイティさんに連れられてエイトへ。その日のうちに場所を与えられました。それが1979年の今日です。マイティさんは「たまに様子見に来るから」と言ってましたが、現れることはありませんでした。マイティさんとはその翌年、サンライズのTVシリーズ「009」の打ち上げで再会しました。スタジオエイトではギャラが遅配されるようになった頃です。「エイト危ないんだって?だめじゃない、言わなきゃ」とマイティさん。マイティさんは今もTVで名前を見ることがあり、現役でがんばっておられるようです。しかし、ホームだったひばりヶ丘ボウルも今はなく、どこで投げているんでしょうか。

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投稿者 A.e.Suck : 11:27 PM

May 16, 2009

30周年

30周年1979年の今日、アニメーターという職業につきました。ある人の紹介で、豊島区東長崎にあったスタジオエイトという作画プロダクションに入れてもらったのです。今日でちょうど30周年を迎えました。

スタジオエイトは、東映系の老舗外注スタジオ大手だった朝日フィルムを、そのスタッフ8人が改組して設立されました。仕上部、撮影部、演出・作画部の独立で空いた席を多数の新人アニメーター達で埋めた作画プロダクションです。東映作品がメインでしたが、サンライズやマッドハウスの動画も請けていました。

スタジオエイト紹介された会社なので、来たのは初めて。社長にもこの日初めて挨拶しました。そして2階の大先生、フリッツ・フォン・エリック師匠に紹介され、描いた絵を見せました。ラクガキ帳をパラパラと見られ、こっちはドキドキです。向いてない、帰れって言われたらどうしよう。エリック師匠はレスラーのスケッチに目をとめ、「プロレス好きかよ?」と聞かれたので「はい」と答えました。後でわかったのですが、この会社にはプロレス好きが多かったのです。「高卒なの?まあ、専門学校行ってない分、先入観なくていいだろう。しばらくやってみたら?」ということで見習いとして採用されました。3ヶ月やってみて、認められなかったら諦めるという条件でした。 せっかく名古屋から上京してきたのに、3ヶ月で見切りをつけられる可能性も出てきました。

当時のアニメ業界へのルートは、東京デザイナー学院アニメーション学科卒が普通でしたので、紹介とは言っても高卒の未経験者は異例でした。もちろん、高校の時は東デのアニメ学科へ進むことも考え、名古屋校に相談にも行きましたが、「アニメは食えないから」とグラフィックデザイン科を勧められる始末でした。エイトを紹介してくれた東映動画出身の作監にも「専門学校行かずに業界入った方がいい」と言われたのです。

エリック王国に入門できたものの、見習いということで、与えられたのは動画机ではなく、セル用絵の具で汚れた仕上げ用の机でした。鉛筆削り器もボロボロで、椅子も折りたたみのパイプ椅子でした。隣の席にいるはずの先輩はGWに帰省してまだ戻ってないとのことでした。その先輩が描いたと思われる、ラッシャー木村対上田馬之助の絵が貼ってありました。
見習いアニメーター当時の仕事は、NHKの「キャプテン・フューチャー」と劇場用「銀河鉄道999」が中心でしたが、見習いなのでやらせてもらえません。最初は研修用の動画から始めますが、それ以前に線が全くダメということで、しばらくは線を描く練習ばっかりの日々でした。トッキントキンにした鉛筆で、きれいにトレスする技術の習得です。消しゴムで直したのが師匠にバレるとゼロから描き直しです。線がひけるようになると、やっと課題です。

研修用課題は「グランプリの鷹」の原画コピーにタップ穴を貼ったもので、すず子の振り向き、鷹也の振り返り、鷹也の走り(奥に走って方向転換して手前に走ってくる)の3つです。1つの課題ごとに原画を清書して、中割りを描き、エリック師匠のチェックを受けます。OKをもらうまで、何度もリテークをもらいました。特に振り向きの中割りの正面顔が難関でした。OKをもらうと次の課題に進み、3つの課題すべてをクリアしなければいけません。就業時間は10時から18時まででしたが、クビになりたくないので夜遅くまでがんばってました。

5月末日、師匠にやっと課題のOKをもらい、「やってごらん」と1カット渡されました。「キャプテン・フューチャー」のカットでアメーバの止めでした。動きもなく、ただ清書するだけですが、1日かけて慎重に仕上げました。それが初仕事でした。5月分の請求金額は110円でした。社員ではないですが、給料は最低3万円が保証されていたので、動画1枚でも3万円もらえました。次の目標は月300枚です。
投稿者 A.e.Suck : 12:45 PM

January 05, 2009

1983年のラーメンマン

YouTubeでオレが原画を担当したシーンを見つけました。『キン肉マン』第10話Aパートのラーメンマン対ブロッケンマンです。この程度で放送できないってことはないです(笑)。むしろ、放送できるように変えてあるんですから。「アメトーーク」のキン肉マン芸人の回で、バッファロー木村が名場面にセレクトしてたし、当時を思い出してみたよ。

オレにとっては第3話に続いて、2本めの「キン肉マン」になる。コンテ清書もした。この当時は2クールで終わると思ってたので、まさか3年も続く人気番組になるとは誰も思ってなかったでしょう。絵もシンプルだし、これで稼ぎましょうって姿勢だった。しかも好きなプロレスを描けるので楽しめるぞ、と。

会場は後楽園ホール。当時、プロレスはよく観に行ってたので、馴染みの深い場所。背景原図も後楽園ホールらしく描いたんだけど、思ったほどホールの特徴など再現してもらえなかった。

放送席に置いてあるラジカセは、当時オレが使ってたソニーのCFS-7ってモデルで、愛称はMetal101。アナウンサーは大好きな倉持アナにしたかったんだけど、小林完吾にしろとのお達しが。当時、徳光アナとで日テレの「おもしろまじめ」キャンペーンやってたから。徳光がおもしろで小林がまじめだった。

戦いのシーンは、決められた秒数内で自分で考える。なので原作は参考にならなかった。当時はクン・フーと言えばリー・リンチェイとジャッキー・チェンが代表的スター。ラーメンマンの拳法はこの2人のアクションを取り入れることにした。ラーメンマンの突きはリー・リンチェイの『少林寺』をアレンジした。ジャッキー・チェンは『ヤング・マスター/師弟出馬』だっけかな?をビデオでコマ送りしながらラフを描いて参考にしたのがこのアクション。個人的にはどうしてもブルース・リーをやりたかったんで『燃えよドラゴン』から1アクションだけ取り入れた。アニメ的な芝居じゃなくて本物らしいことやろうと。キャメルクラッチは原作とは違って、本家ザ・シーク流にした。

原作はブロッケンマンをまっぷたつにしてしまうという残酷なフィニッシュで、これはまずいってことなのか、アニメ版では手打ちラーメンにするというギャグ表現に変更された。手打ちラーメンを作る芝居は、どうすればそれらしく見えるか悩んだので、実際に手打ちラーメンを見学してきた。だいたい合ってるはず。シーンの締めはハーモニーだね。

この話では後楽園ホール担当だったのか、Bパートでも後楽園ホールのシーンを担当してる。イスはなく、客にR2-D2とマックス・レボがいる。「ハンバーガーも飛びます」は吉本芸人の斎藤ゆう子が「今日は飛びませんね」ってのが流行ったセブンイレブンのCMパロディ。好きじゃないけど、当時の子供に人気のあったものを積極的に取り入れる傾向があった。

投稿者 A.e.Suck : 01:13 PM

September 04, 2008

レイアウト裏話

作画打ち合わせを終えた原画マンの最初の仕事が、絵コンテに基づいた各カットの設計、つまりレイアウトです。レイアウトは一旦回収され、演出や作監のチェックを受けます。OKになったレイアウトが戻ってきたら原画を描き始めます。

レイアウトはアニメーターとしての画力と映像センスがモロに出るものです。初めて組む演出や作監には、自分の実力をさらけだすことになり、かなり緊張します。通常はレイアウトを描いただけでは請求はできません。ギャラは原画に対して払われるからです。ある意味、原画より重要な作業なのに、レイアウト料はタダってのはヘンですけどね。
原画の作業がスケジュール内に終わらないことを「こぼす」と言います。こぼした分は「引き上げ」と言ってレイアウトが制作に回収され、別の原画マンに渡ります。引き上げられた分は、完全に自分の手を離れます。助っ人原画マンに対しては、レイアウトがすでにあれば、依頼しやすくなります。手伝う側もレイアウトしなくて済むからちょっと得です。しかも、うまい原画マンが描いたレイアウトなら原画も起こしやすいし、勉強になります。逆にヘタクソだったりいい加減だったりすると、原画が描きにくいものです。レイアウトからやった方がはえーよ、とボヤきますが、レイアウトは背景との兼ね合いも大きいので変更できません。

俺も手伝いをしたことが何度もあります。仲間同士助け合うのも大切なので、無理でない限り断わりません。その段階ではスケジュールに余裕がないわけで、徹夜仕事が続くこともあります。自分では「こぼし」たり「引き上げ」られたりするのはプロとして屈辱に感じているので、そうならないように気を付けてはいましたが、1度だけ引き上げてもらった記憶があります。沖縄旅行に行く時、出発直前まで仕事しても終わりそうもなく、5カットだけレイアウトを渡してお願いしたんです。このときは、5カット分のレイアウト料を請求したかもしれません。
投稿者 A.e.Suck : 07:36 PM

November 11, 2007

原画マンの仕事

原画の仕事は動画とはガラッと変わる。元になる絵はない。真っ白い紙に絵を描き始める。文字通りゼロからの作画だ。まずは演出や監督との打ち合わせ。外に打ち合わせに行く場合、交通費は自腹。出ることもあるけど自腹。だいたい、アニメーターに必要な経費って自腹が基本。

打ち合わせは数人の原画マンが参加して行うこともあれば、個別に行うこともある。キャラ表(レギュラー/各話)と美術設定(レギュラー/各話)、そして絵コンテを渡される。打ち合わせに使う絵コンテはパート単位。30分枠のTVならAパートとBパート、劇場用なら、A、B、C、D、Eのようにパートが別れる。1人で1パートまるごと担当することはほとんどなく、パート内で誰がどこを担当するか決まってなければ、割り振りはその時決める。担当するのは通常はシーン単位だけど、場合によってはカット単位だったりする。原画マンサイドから、やりがいありそうだとか挑戦したいとか面白そうな箇所を見つけて「このシーンやりたい」って申告することもあるけど、演出サイドから原画マンのスキルを見据えた上で「このシーンやって」って場合が多い。原画マンの得意分野などの評価が演出にわかってる場合ね。割り振られたシーンが不満なこともあれば、期待に応えようってこともある。

打ち合わせは絵コンテを読み合わせながら進める。演出が絵コンテの意図を原画マンに伝えるのが主目的。それについて原画マンは質問や確認を行い、演出は作画表現の注文をする。作画上や設定上の注意事項なんかもメモっとく。原画マンから演出に対して、より適切な提案をすることもある。

打ち合わせが終わったら、レイアウト作業に入る。すでに誰かが描いたレイアウトが支給されることもあるけど、通常は原画マンがレイアウトを起こす。真っ白い紙から始まるってのはこの作業。絵コンテに従って、レイアウト用紙に描く。レイアウトってのはキャラと背景の大ラフ。背景原図とも言って、背景の下絵になるので、しっかりパースをとりながら鉛筆で描き、キャラ部分は色鉛筆で描きこんだりする。キャメラワークがあれば、その指定も書き込む。FollowPanやPANなどは、レイアウト用紙をセロテープでつなげたりして必要な背景サイズで描く。背景とキャラが密接に関わる場合は組み合わせ線を正確に描いとかないといけない。キャラのラフは、おおまかな動きを数枚描いておく。できあがったレイアウトは演出に提出。演出がチェックして作監がチェック。レイアウトのコピーは背景さんへ。

提出したレイアウトが戻ってくるまではやることがないのでヒマになる。チェックが遅れてたりしてレイアウトがなかなか戻ってこないこともある。レイアウト待ちの間にも作画スケジュールはどんどん消化される。戻ってきたレイアウトには演出の注意や注文が書き込まれ、作監修正が添付されてる。いよいよ原画作業に入る。
原画は絵コンテのカット順に取りかかるのが理想だが、BG ONLY(打ち合わせの段階で背景さんに行っちゃってもらえないこともあるけど)やトメクチパクなど、簡単なカットから手を付けていく人も多い。いきなり大変なカットでつまづいてるとチェックする演出を待たせたり、動画マンをヒマにすることになっちゃうでしょ。でもカットはつながってるものなので、できる限りカット順に手を付けたい。アクションカットならなおさら。楽なカットから手を付けると、原画アップの押し迫った頃に大変なカットだけが遺って重圧になる。結局、スケジュールに間に合わず「こぼす」ことになれば「引き上げ」と言って、レイアウトが回収され、助っ人原画に渡る。俺もそういう手伝いをしたことあるけど、残り少ないスケジュールで大変なカットばっかしこなすのは大変。こぼしそうな時は早めに引き上げてもらわないと迷惑がかかる。中にはこぼしたまま、失踪しちゃう原画マンもいるけどね。「引き上げ」は責任放棄の要求で、原画マンにとっては屈辱的なはずだけど、全然気にしない人もいて、最悪、信用なくしてホサれることもある。

原画は動きのラフから描く。この時が一番楽しい。レイアウト時にすでにラフが描かれていれば、そのラフを元に原画を描く。原画の作業自体は、動画マン時代に多くの原画に接してきてるわけなので、大体把握済みだ。当然のスキルとしてキャラを似せること、プロポーションを合わせることは必須。同じキャラ表を見ながら描いても、解釈の違いや個人のクセは出ちゃうもので、そのために作監がいるんだけど、とにかく合わせる。その縛りの中でいかに自分の持ち味を出すかが、腕であり、楽しみでもある。鉛筆で描くんだけど、影やハイライトは色鉛筆で描いて塗ったりする。動画マンにはツメの目盛り、注意してほしい中割があれば参考のラフを入れておく。複雑な塗り分けや色の指定など、仕上げさんへの指示も書き込む。原画ができたらタイムシートをつける。タイムシートには動画マンへの中割の指示や、撮影時のキャメラワークを指定する。タイムシートの記入の仕方は決まってる。業界で統一ルールみたいのがある。

厄介なのはFollowPanだ。原画もキャメラとキャラ、背景の関係を計算をしながら描く。これらがピッタリ合ってないと不自然になるからね。キャメラの動きを表現するのに背景を動かすわけだが、その指定がFollowPan目盛り。背景の動き(撮影法)を別紙にコマ単位の目盛りで指定する。カットによってはかなり複雑になる場合もあって面倒だけど、映像になった時は迫力十分だ。

原画のギャラはカット単位、秒単位、月契約など。どれが得かは作品による。月契約だと収入は安定するけど、超ハードになるかもしれない。出来高ならやった分だけ金になるので、数をこなせるなら月契約よりは稼げる。全体にカット数の少ない作品なら秒単位で請求した方が得だし、カット数の多い作品ならカット単位で請求した方が得。これは仕事に入る前に決まるので、話の内容や演出の作風によって運・不運もある。俺の場合、カット単位のギャラで請けた仕事で、1パートまるごと1人で原画やったのに、同じく1パートまるごと1人でやった動画マンよりギャラが安くなってたことがあった。直訴して、シリーズの途中で秒単位のギャラに変更してもらったことがあった。まあ、特例ですけど。
投稿者 A.e.Suck : 03:19 PM

July 03, 2007

動画マンの仕事

動画の仕事はカット単位で支給される。カット単位ってのは、タイムシートに原画がはさみこんである状態。どさっと届いたカットの中から、自分がやりたいのを選ぶ。または、特定のカットを直接渡されることもある。新人のうちは、簡単なカットから渡されることになる。「このカットをお願いします」って指名されることもある。「名指し」ってやつだ。凄腕の動画マンなら特定のカットを依頼されたり、安定したクオリティで量をこなし納期を守る信頼できる動画マンにはどさっと任されることもある。

まず、タイムシートの原画欄に沿って動画欄に動画番号を記入していく。つまり原画で指示された「・」を数字に置き換え、動画の通し番号にする。これは以後の工程でも参照される。タイムシートは1枚あたり6秒。7秒のカットなら2枚ある。タイムシートをつけたら原画の清書をする。

原画には作監修正がついていることもある。原画マンの原画に、作監が修正用紙をのせて修正したものだ。この場合、原画の清書時に修正部分を反映させる。中割りは、清書した原画を重ねて行う。タイムシートや動画マンへの指示通りに描く。キャラ表を見ながらキャラを似せ、紙を裏から見てデッサンの崩れにも注意する。中割りは下描きしてから清書するんだけど、下描きなしでいきなり清書できることもある。いわゆる「一発描き」ってやつだ。実線は黒の鉛筆で、色トレスや効果は色鉛筆で清書する。ひたすらキレイに清書する。
動画は出来高なので、納品した枚数を請求してギャラを受け取る。稼ぎたければ、簡単で枚数の多いカットや単価の高い作品をこなせばいい。速く描けば、それだけ数をこなせるが、粗っぽかったらリテークをくらう。当然、ボツ動画は請求できない。

動画は指示通りに仕上げるもんだが、いくら細かく指示されていようと、中割りって、誰がやってもおんなじにはならないわけで、自分なりの表現も可能なわけです。独自のセンスがあれば、時にはクリエイティブなこともする。指示がなければ勝手に原画増やして中割ってみたり、余計なものを描き加えてみたり、独自の解釈でアレンジしたり。でも、それが通るとは限らず、リテークになるリスクが高くなる。もちろん、そうするよりは最低限の要求を満たしながら、数こなしたほうが稼げるんだけどね。冒険するよりは、キチンとこなせる職人に徹して、先のキャリアを考える方がいい。

動画のうちは、いろんな先輩原画マンの原画に接することになるので、原画の描き方やタイミングの付け方を学べるチャンスだ。カンタンなカットばっかしやってたら腕も上がらない。いい仕事をすれば注目され、信頼されるので、次につながる。

投稿者 A.e.Suck : 03:59 PM

June 03, 2007

原画マンと動画マン

ひとくちにアニメーターと言っても、原画マンと動画マンに分かれる。マンをつけるのは、映画業界で撮影マンとか編集マンと言うように、専門職を指すことからきてるんで、「男」の意味じゃない。どちらかと言うと「職人」のニュアンスかな。

世間では原画=オリジナルの直筆画、動画=アニメーションって意味なんだけど、業界ではちょっと違う。簡単に言うと、原画は動きの元になるラフ画、動画は原画に中割りを加えて清書された線画のこと。原画マンは絵コンテに従って原画を作画し、タイミングを決める。動画マンは原画を清書して、タイミングに従って中割りを描いて、動画として完成させる。原画マンも動画マンも、動画用紙に鉛筆で作画する。

アニメーターとして採用されると「新人」と言われる。新人と言っても日本中から絵の巧いやつが集まってるわけで、「絵が描ける」という特技は何の自慢にならない。アニメーターは絵が描けて当たり前なので、その先のスキルが生き残れるかどうかに関わる。
研修を経て、動画マンになる。1年もてば「ベテラン」と言われる(笑)。その頃には多くの新人が淘汰されているはずだ。新人のうちにアニメーターとしての資質を見極め、「向いていない」「才能がない」場合は、辞めるから。その判断は自分で決めることもあれば、先輩原画マンや社長が宣告することもある。

動画のキャリアを積み、実力が認められたら原画にステップアップするチャンスが与えられる。または、動画より原画向きと判断される場合もある。ずっと動画専門でいく動画マンもいる。動画の仕事に向いている人や、主婦業を兼業しててマイペースで働きたい人は、原画にはならず動画のままだ。動画マンは原画マンのアシスタント的に見えるかもしれないが、実は立派な専門職だ。ベテラン動画マンだと、上がってきた動画の検査や修正をする「動画チェック」の仕事もある。同期の動画マンの中では、生き残り競争の次にくるのが原画昇格の競争だ。目安は月1000枚を達成するか、2年の動画経験だ。最近は1年みたいだけど。

原画になったら、最初からまとまった仕事を任されることはないので、動画の仕事と並行して行う。原画は動画と違ってゼロから描き始めるので、クリエイティブなんだけど、自分の画力やセンスがモロに出るので、「天才アニメーター」でなければスランプに陥りやすい。他の原画マンとの競争も激しい。キャリアよりも実力の世界なんで、「巧い」「スケジュールを守る」「得意分野」で評価される。

原画マンの仕事は原画だけじゃない。「作画監督」いわゆる作監は、原画マンを統括するポジション。原画から昇格してなるんだけど、原画向きな人と作監向きな人に別れる。作監チェックは、原画マンの描いた原画に修正用紙を被せて修正したり、原画マンが上げてきたレイアウトをチェックしたり。劇場用なんかでは、「総作監」や「作監補佐」を立てて、作監チェックを分業することもある。

「キャラデザイン」はアニメ用のキャラ表を仕上げる仕事。作監クラスで、しかも実力がないとやらせてもらえないし話もこない。「絵コンテ清書」は絵が描けない演出家が切ったコンテを清書する仕事。絵だけでなく字も読めるように清書する。演出は絵が描けなくて当たり前の時代もあったが、字も読めないのは始末が悪い。

稀だけど「版権イラスト」の仕事もあったりする。ポスターやグッズなど、印刷物がメイン。アルバイト感覚でいいギャラもらえるのでありがたい。

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投稿者 A.e.Suck : 02:42 PM

April 14, 2007

アニメーターって何だ?

鳥山明が「Dr.スランプ」でブレイクした頃の話。俺のオトンと鳥山明のオトンは同級生でさ、同窓会で会ったんだと。オトンが言うには、「鳥山が「ウチの息子、漫画描いとるがや」って言うもんで、「ウチの息子もだがや!」って言ったった」

ウチもって、漫画家とアニメーターは違うんだよ、全然。恥ずかしい〜!そうなんです、身内ですらアニメーターって職業をよくわかってないわけよ。謎な職業だったんだと思う。

その後、新人指導のために、1ヶ月くらい名古屋に出向して原画やってた頃、会社で徹夜してたら、オトンが夜食を差し入れに来たんだ。しかもオカンや弟も一緒だった。家族総出で夜中に見学とは。どんな事やっとるのか見たかったんだろうねえ。
イヤだったのが、名古屋に帰省した時に、家族とか親戚とかに「今はどんなアニメ描いとるの?」って聞かれること。すんごい抵抗あった。アニメ業界では「今、何やってんの?」って聞くのよ、みんな。そしたらスンナリ作品名言えるんだけどさ。

あと、よくある勘違いが、「アニメは漫画家が描いている」という誤解。これ、漫画家とアニメーターをごっちゃにする原因。手塚治虫の影響か?それと「アニメーターはセル画を描く」という誤解。後者は特に多かった。「アニメーターやってます」って言うと、「セル画描いてるんだ〜」って言われるんだよね。ここで、「いや紙に描いてます」ってゆーんだけど、アニメの作画フローから説明しなきゃなんないから面倒なんだよね。今はセルそのものを使わなくなったから、「アニメーター=セル画描く人」とは思われないだろうけど、昔はさ、アニメーターって言葉は知ってても、その仕事内容までは、今ほど知られてなかったんだよな。税務署でも当時は「アニメーター」じゃ通じないから「画家」で申告ですよ。

一般にはマイナーな「アニメーター」って響きもヤで、名刺の肩書きは「原画」にしてた。ハリーハウゼンやフィル・ティペットみたいなモデルアニメの人もアニメーターだから、区別したくて「カートゥニスト」って名乗ってた時期もあったよ、浸透しなかったけど。

まあ、そのうちアニメーターが原画なり動画なり仕事してる風景がTVで紹介される機会が増えて、イメージしやすくなっただろうけどね。俺も昔出たよ、日テレ。原画描きながら説明するの。でも、俺の机じゃないし、仕事もダミーだったからヤラセだけど、視聴者にはアニメーターの仕事が伝わったんじゃないかな、と思ったら30分くらい収録したのに、1分しか使われなかった!ほとんどカットかよ!

まあ、そんなわけで、アニメーターって職業について、ちょくちょく書いてみようかと。

投稿者 A.e.Suck : 12:50 AM

June 11, 2006

いらっしゃいませ

いらっしゃいませデパートのインフォメーションで客が売り場をたずねるシーン。受け取ったシナリオではまず案内嬢が「いらっしゃいませ」と言う。 さて、この「いらっしゃいませ」の芝居だが、おじぎさせるかどうか?そもそも「いらっしゃいませ」なんて言うか?プレスコなんで、すでに音声データはあるんだが、これは悩んだ。コンテ切る前の資料集めで、新宿の京王と小田急のインフォメーションの写真を撮ってきたが、応対までは見てこなかった。 ネットでヒントを探したら、デパートではないけど、受付の接客マナーみたいなのを見つけた。座ったまま接客する場合は、おじぎをしてから「いらっしゃいませ」と言うらしい。おじぎしながらだと声が聞き取りにくくなるからだと。なるほど。これは使える。そこで、おじぎした後「いらっしゃいませ」と言うアニメーションにした。できあがったムービーを再生してみると、違和感があった。客はやってきてすぐ質問するはずだから受付嬢は挨拶しないはずだと思ったから。しっくりいかんので、偵察に行くことにした。
バスで東急百貨店前で降りれば目の前に東急本店。エントランスを背にした理想的なインフォメーションだ。案内嬢は2人。張り込んでると、客が次々に聞きに来る。客が来て聞く、案内嬢答える。これだけ。やっぱこれだ!おじぎも「いらっしゃいませ」もなし。胸がス〜ッとした。帰りのバス停は西武百貨店前から。ついでに渋谷西武のインフォメーションも見てみた。客を前におじぎしながら小声ながらも「いらっしゃいませ」と言った!たしかに言った!次の客にも言った!なんだ、コレもアリかよ…。結局ムービーは修正せずに、おじぎしてから「いらっしゃいませ」のままにした。
投稿者 A.e.Suck : 07:14 PM